山田よねのモデルは久米愛!?ドラマ『虎に翼』と史実の相違点3選!画像も比較

『虎に翼』山田よねのモデルは久米愛

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2024年4月1日から始まったNHK連続テレビ小説『虎に翼』

そこに登場する男装の女学生・山田よねに注目が集まっています。

『虎に翼』山田よねのモデルと言われる、日本女性初の弁護士・久米愛さんについて調べてみました。

目次

山田よねのモデルは久米愛

NHK連続テレビ小説『虎に翼』
公式サイト

2024年度前期のNHK連続テレビ小説『虎に翼』は、日本初の女性弁護士かつ女性裁判官になったいのつめともと法曹界を目指す仲間の物語です。

『虎に翼』では明律大学法科の女子部に通う主人公の猪爪寅子、その同級生の一人に山田よねという女性がいます。

山田よねは人と群れたがらない男装の女学生、ドラマでは女性の社会進出への信念を人一倍強く持っている役です。

山田よねのモデルと言われているのが日本女性初の弁護士の一人である久米愛さんですが、一体どんな女性だったのでしょうか?

久米愛の生い立ち

女性弁護士の久米愛
Wikipedia
名前久米愛(くめ あい) (旧姓:保原)
生年月日1911年(明治44年)7月7日
没年月日1976年(昭和51年)7月14日(65歳没)
出身地大阪府
職業弁護士(日本女性初)、日本婦人法律家協会会長
経歴1911年 誕生
    大阪府立夕陽丘高等女学校(現:大阪府立夕陽丘高等学校)卒業
    津田英学塾(現・津田塾大学)卒業
1933年 明治大学専門部女子部(明治大学短期大学の前身)入学
1936年 明治大学法学部本科へ編入
1938年 久米知孝(日立製作所の技師)と結婚
 同年 高等文官試験(現:司法試験)合格
1939年 弁護士補になる
1940年 正式に弁護士になる(日本人女性初)
1946年 明治大学短期大学教授に就任
1950年 日本婦人法律家協会(現・日本女性法律家協会)を設立、会長に就任。
1976年 逝去

久米愛は明治末期から大正昭和時代にかけて実在した人物で、日本初の女性弁護士の一人です。

日本初の女性弁護士について書かれた書籍『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』には、若い頃の久米愛さんを表現した記述があります。

久米愛さんは、スラックスでつかつかと歩いて来るイメージ。

引用元:『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』

久米愛さんが明治大学女子部に入学したのは昭和初期、この時代に女性がスラックスをはいている姿は珍しかったはずです。

しかし当時は松竹劇団員の水の江瀧子たきこが「男装の麗人」として国民的人気を博していた時代でもあります。

おそらく久米愛さんも短髪男装で颯爽と闊歩していたに違いありません。

今でいう宝塚の男役ね!久米愛さんもハンサムウーマンだったのかな~

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大阪の女学校を卒業した久米愛さんは、津田塾大学の前身である津田英学塾に入学しますが、当時は目指していた英語教師の女子の雇用が少ない状況で悩んでいました。

その後、法改正によって女性も弁護士になれることを知った久米愛さんは、明治大学専門部女子部に入学します。

さらに専門部女子部から明治大学法学部本科へ編入し、本科在学中に高等文官試(現:司法試験)に見事合格!

三淵嘉子さん・中田正子さんとともに、日本初の女性弁護士となったのです。

久米愛と三淵嘉子・中田正子との関係

1938年に高等文官試験(現:司法試験)に合格した女性は、三淵嘉子さん・中田正子さん・久米愛さんの3人です。

3人はともに明治大学で学び、同じ試験で合格しますが、試験合格後の1939年に弁護士試補(見習い)として、東京・丸の内の法律事務所へそれぞれ入所します。

事務所は違っても昼休みの時間には3人集まり、食事をしながら情報交換をしていたそうです。

女性の弁護士はたった3人!互いに助け合うことは、ごく自然なことよね。

久米愛さんは弁護士として活動しながら、戦後の1946年に母校の明治大学短期大学の教授も務め始めます。

また同じ頃、得意の英語を使ってGHQの通訳もしており、のちにGHQが組織した婦人使節団の一員としてアメリカへ派遣されています。

アメリカの民主主義を目の当たりにした久米愛さんは、帰国後1950年に日本婦人法律家協会を設立し、初代会長に久米愛さん、副会長は三淵嘉子さんが就任しました。

日本婦人法律家協会の目的は、女性の法律家同士の意見交換や情報提供の場を作ることでした。

久米愛さんは弁護士になってから、日本の女性運動で指導的な立場となり、その役割を果たしてきたのですね。

女性の権利が認められなかったこの時代は、相当苦労をしたに違いないわね!

【画像比較】山田よねとモデル・久米愛の相違点3選

『虎に翼』山田よねと久米愛

『虎に翼』に登場する山田よねのモデルは久米愛さんとされていますが、山田よねと久米愛さんは異なる点があります

ドラマのモデルとの違いについて説明します。

相違点1:久米愛と三淵嘉子は同学年ではない

ドラマ『虎に翼』では山田よねと主人公の猪爪寅子は明律大学女子部の同級生として描かれています。

しかし山田よねのモデル久米愛さんと、猪爪寅子のモデル三淵嘉子さんは実際は同級生ではなく、久米愛さんの方が1学年下です。

嘉子が卒業した年の11月1日、司法省は、嘉子および同級の中田正子、そして1学年下の久米愛の3人の女性が、高等文官試験司法科に合格したと発表した(合格者総数242名)。女性初の快挙であった。

引用元:明治大学

ちなみに久米愛さんは1911年生まれ三淵嘉子さんは1914年生まれで、年齢は久米愛さんの方が3歳年上です。

久米愛さんは津田英学塾を卒業してから明治大学女子部に入ったため、三淵嘉子さんの“年上の後輩”になってしまったのですね。

3人そろって初の女性弁護士になったから、ドラマでは同級生の設定にしたほうが、物語が展開しやすかったのかもね!

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相違点2:久米愛は貧乏ではない

2024年4月17日の放送で山田よねの貧乏で女が虐げられる過酷な生い立ち弁護士を目指す理由が明らかになりました。

一方、久米愛さんの学歴を見ると、昭和初期の時代に女学校へ通い、大学も2度入学と卒業をしています。

久米愛さんの父親は大阪の電力会社の社長とのこと。

また久米愛さんにはアメリカ・ハーバード大学に留学していた兄もいたそうで、兄の影響を受けて、はじめは英語教師を目指したようです。

このことから見ても、久米愛さんの実家はかなり裕福な家柄だったと推測されますね。

ドラマの山田よねと久米愛さんの状況は対照的だったと言えます。

山田よねが壮絶な生い立ちを理由に、真剣に弁護士を目指しているのはわかったわ…

相違点3:久米愛は英語教師を諦めて弁護士に転向

姉と自分の過酷な生い立ち、そして社会に虐げられている女性の現状を見て、ドラマの山田よねは「なめ腐った奴らを叩きのめす力が欲しい」と、強い信念を持って弁護士を目指します

一方、久米愛さんははじめに英語教師を目指すものの、女性の働き口がないことで将来について悩んでいました。

そこへ法改正によって女性も弁護士になれることを知り、大学を入り直して法学を学ぶことに転換します。

女性としての生きづらさを感じる状況は同じですが、山田よねのような生い立ちをバネに強い信念で弁護士を目指したわけではなかったように感じます。

この回の放送は15分のほとんどが山田よねの過酷な生い立ち。とても見応えがあったわ…

山田よねを演じるのは土居志央梨

土居志央梨
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『虎に翼』の山田よねを演じているのは俳優の土居どい志央梨しおりさんです。

朝ドラは2020年放送『おちょやん』に続いて2作目となります。

今回は男装で気が強い山田よねの役のため髪の毛も短くなっていたため、最初は土居志央梨さんだと分からなかった視聴者も多かったようですね。

長い髪も素敵だけど、短髪もメチャメチャかっこいい!!

まとめ

『虎に翼』山田よねのモデル久米愛さんの生い立ちや、ドラマとの違いについて説明しました。

朝ドラは基本的にオリジナルストーリーなので、モデルになった人物と違う点もありますが、その違いを楽しむのも良いですね。

また山田よねを演じている土居志央梨さんも非常に話題になっています。

『虎に翼』の今後の展開が楽しみですね!

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