【虎に翼】寅子が歌った歌『モンパパ』は実在した?原曲音源は?

『モンパパ』を歌う猪爪寅子

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朝ドラ『虎に翼』で、伊藤沙莉さんが演じる猪爪寅子が歌った歌『モンパパ』

『モンパパ』は寅子が若い頃だった1930年代に流行した歌です。

『モンパパ』とはどんな意味なのか、原曲や歌手についても調べてみました。

目次

【虎の翼】寅子が歌った歌『モンパパ』の意味

「うちのパパとうちのママと並んだ時~♪」と明るい出だしの歌『モンパパ』。

ドラマ『虎に翼』で寅子が最初に歌った場面は、寅子の兄と親友が結婚する披露宴の余興でした。

その後、楽しい時、怒っている時、大切な仲間との別れのシーンでも歌われています。

『モンパパ』は『モン・パパ』とも表記されますが、フランス語で「私のパパ」という意味になります。

【虎の翼】寅子が歌った歌『モンパパ』の原曲と歴史

『モンパパ』は日本では昭和初期にヒットした曲で、これまで多くの人が歌っています。

ここでは『モンパパ』の原曲から日本でどのように流行したのかを紹介しましょう。

『モンパパ』の原曲はシャンソン

『モン・パパ』の原曲“C'est pour mon papa”
YouTube

『モンパパ』の原曲はフランスのシャンソンです。

フランス語の曲名は『C’est pourプル momモン Papaパパ(私のパパのために)』といいます。

日本語では省略されて『モン・パパ』となりました。

1930年、映画『Le roi des Resquilleurs(邦題:巴里っ子)』がフランスで公開され、主演でコメディアンのジョルジュ・ミルトン(Georges Milton)が歌っていました。

映画の原題:Le roi des Resquilleurs=タダ見の王様 → 邦題:巴里っ子

映画『巴里っ子』は、フランス公開の翌年1931年(昭和6年)に日本で公開されました。

独特なリズムだから日本の歌ではないと思ったけど、シャンソンだったのね!

日本で最初に『モンパパ』を披露した宝塚

宝塚少女歌劇団の公演『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』
Wikipedia

映画『巴里っ子』が日本で公開される1931年より前から、宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)では積極的にシャンソンを取り入れていました。

  • 1927年(昭和2年)公演『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』→曲『モン・パリ(Mon Paris)』
  • 1930年(昭和5年)公演『パリ・ゼット』→曲『すみれの花咲く頃(Quand refleuriront les lilas blanc)』

そして1931年(昭和6年)舞台『ローズ・パリ』で『C’est pour mom Papa』が披露されます。

邦題は『モン・パパ』で、日本語の歌詞は宝塚少女歌劇団の演出家だった白井鐵造さんが書きました。

『モン・パパ』は、舞台では大町かな子さん、レコードでは娘役スターの三浦時子さんが歌っています。

これをきっかけに、日本でシャンソンが流行りはじめたのね。

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エノケンが『モンパパ』を大衆音楽として広める

『モン・パパ』を大衆音楽として広めたのが、昭和の喜劇王「エノケン」こと榎本健一さんでした。

最初のレコーディングでは榎本健一(エノケン)二村定一(ふたむらていいち)の2人で歌い、1932年(昭和7年)に発売されたレコードは大ヒット!

エノケンはのちに単独でも『モン・パパ』のレコードを発売しています。

1932年といえばドラマでは猪爪寅子が女学校を卒業する頃です。

寅子が『モン・パパ』を耳にして、お気に入りの一曲になったのも分かりますね。

若者が流行歌に夢中になるのは、いつの時代もかわらないね!

ポンキッキーズの『ウチのパパとママとボク』

1993年にフジテレビ系列で放送が始まった子供向けテレビ番組「ポンキッキーズ」

その中に『モンパパ』をもとにした『うちのパパとママとボク』という歌がありました。

歌詞は女優で演出家の高泉淳子さんが、当時の世相を反映して新たに書いたものです。

高泉淳子さんはポンキッキーズで「山田のぼる」という男の子のキャラクターを演じており、『うちのパパとママとボク』は山田のぼる名義で歌っています。

【虎の翼】寅子が『モンパパ』を歌うシーン


強いママと弱いパパを歌詞で表現した『モン・パパ』は、とても明るく楽しい曲です。

しかし流行した当時は男性至上主義の時代で、男尊女卑や男女不平等が当たり前でした。

『虎に翼』での寅子は女性の理不尽な状況を目の当たりにしたあと、怒りを込めて『モン・パパ』を歌っています。

寅子が『モンパパ』を歌ったおもな場面を紹介しましょう。

第1週(4話)直道と花江の結婚披露宴

寅子の兄・直道と親友の花江が結婚式を挙げるシーンです。

結婚披露宴で酔っ払った父の直言なおことから余興で歌うことを指名された寅子は、仕方なく『モンパパ』を歌い出します。

「結婚こそが女の幸せ」と言われる中、結婚したら女性は「無能力者」扱いされ、社会的な立場を奪われてしまう…、これまでの女性に対する理不尽な出来事に怒りを募らせる寅子

結婚披露宴に似つかわしくない歌に、苦笑いする人、顔をしかめる人いましたが、寅子はかまわず歌い続け、結果的に盛り上がった披露宴となりました。

寅子が歌い出した時の会場の戸惑い…
どうなることかと思ったわ。

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第6週(28話)崔香淑との別れ

明律大学女子部に入った同期の女性5人は、本科に入学してからも共に支え合ってきました。

しかし兄に政治犯の疑いがかけられた留学生の崔香淑(さいこうしゅく)は、朝鮮半島へ帰らなければなりません。

時代は日中戦争が始まった頃で、このまま日本にいると祖国へ帰れなくなってしまうからです。

ここまで頑張って来たのに、試験がうけられないなんて気の毒すぎる…

思い出作りのため海へ行くことを提案する寅子によって、みんなで海に向かいます。

これまでの出来事を懐かしく語り合っているなかで、崔香淑から最後の願いで、寅子に『モンパパ』を歌ってほしいとせがまれます。

楽しい思い出ができたと同時に、切なさが溢れるシーンでした。

崔さんの最後の願いが、寅子の『モンパパ』なんて泣ける…
“寅ちゃんが歌い始めると、よねさんがいつも「うるさい」って止めちゃうから”って。

第6週(30話)合格した寅子、不合格の山田よね

高等文官試験(現:司法試験)を受験した女子学生たちは、とうとう3人の合格者を出します。

合格したのは猪爪寅子と先輩の久保田聡子と中山千春の3人、そこに同期の山田よねは含まれていませんでした。

誰よりも頑張っていたよねが不合格なのは納得いかないわ!

よねは口述試験で完璧な受け答えをしたものの、試験官のぶしつけな質問に真っ向から反論したため、不合格になってしまったようです。

「私は自分を曲げない。曲げずにいつか必ず合格してみせる」そう寅子に告げ、また自分に言い聞かせるような山田よね。

女性初の高等試験合格を成し遂げたにもかかわらず、寅子が素直に喜べなかった理由がわかった出来事でした。

帰り際に「おめでとう」と言い残して去って行くよね。

そんなよねの後ろ姿を見つめる寅子は『モンパパ』を口ずさみます。

『モンパパ』を口ずさむことで志半ばで諦めざるを得なかった女性たち思い出し、怒りがこみ上げてくる寅子でした。

寅子のモヤモヤがはっきりしたシーンだったよね。

まとめ

『モンパパ』は明るい曲ですが、ドラマでは皮肉や怒りの象徴として使われているようですね。

まとめです。

  • 『モンパパ』の意味はフランス語で「私のパパ」
  • 『モンパパ』の原曲はシャンソンで、宝塚とエノケンにより大衆に広まった
  • ドラマで寅子が『モンパパ』を歌うときは、怒っているとき

明律大学女子部に入学したとき、あんなにいた同期の中で、合格したのは寅子ただ一人。

寅子のこの先の道のりはさらに苦難がありますが、彼女たちの分まで頑張って突き進んでもらいたいですね。

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